Chapter 2『書斎』
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Message
最初に訪れた部屋は書斎だった。
三方に置かれた背の高い棚には本が隙間なく並んでいた。子供向けの絵本から大人でも難しい読み物、手作りのアルバムと思しきものまで種類は様々だ。部屋の中央にある樫のデスクには読みかけをそのまま放置したように書類が乱雑に積まれている。明確な記憶こそないが、この部屋で過ごしていた事をごく当たり前のように納得してしまう、そんな錯覚を抱かせる空間だった。
片手で紅羽の手を引いたまま、高標は一直線に本棚の角へと向かう。そして、まるで呼び寄せられるかのようにそこから一冊の薄い冊子を躊躇無く引き抜いた。
一連の動作に目を見張る紅羽を気にした様子も無く、彼は掌に収まるサイズのノートを開いた。紅羽もそれに倣ってページを覗き込む。
『私達は、気付けばこの館にいました。玄関の外に異界の出口があるのは突き止めたんですけど、鍵を探しているうちに、ずっとここで暮らしていた気になって……。幸せだったのに、あの人は私を置いていなくなると言いました。指輪が無いからって、絶対に許せない……! ――だから、私は、唯一見つけたこのナイフで…………』
そこには、自分達よりも前にこの異界に囚われた、館の犠牲者が残した僅かな幸せとその顛末が記されていた。反射的に紅羽は眉を寄せる。多少の際はあれども、自分が夢で見たものとほぼ同じ内容だ。伺うようにして隣に居る相手へと視線を向ける。
「どうしたよ」
「いや……同じだな、と思って」
何が、と。明言こそしなかったが、高標は納得したように頷いた。
「成程。随分趣味の悪い異界だな」
「本当だよ。でも、よくそれに一直線に行ったね」
「多少目に名残があるのかもしれねぇな」
眼帯の下、抉った右目の経緯は紅羽も凡その事は知っていた。変わった目をした新入生が居る、というのがそもそも彼に対して最初に抱いた興味だった。また高標の方にも特別隠そうという意思が無かった為に、ともすれば複雑で重い事情を紅羽はあっさりと聞き、受け入れていた。
「やっぱり君、見る方の素質がある人だったんだねぇ」
「どうだろうな。ま、今はもう捨てたモンだ。そうやって俺は生きてきた」
「全く。頼もしい限りだよ」
「伊達にアンタのナイトをやってねぇからな」
不敵、かつ獰猛に笑う。己の意識と自負によって裏付けられた、思い上がりとは無縁な顔付きは紅羽にとって見慣れたものだった。ただこれ以上言えば調子に乗るだろうとも思い、柔らかな笑みを返すに留めた。その美しい微笑もまた、高標からすれば日ごろから馴染んだものだ。
それにしても、と。紅羽は少し表情を改めてノートに触れる。
「またちょっと、ややこしくなりそうだね」
館での一幕が記されたノートは異界の力を色濃く宿している。三日月財団内で『異界の遺物』と呼ばれている類のものだろうと直感的に理解した。脱出に近付くる事の出来る鍵であると同時に異界の深い所に潜り込まざるを得なくなる、言わば諸刃の剣だ。
それでも、脱出を目指す以上捨て置くという選択肢は無い。一応の確認を、という口ぶりで高標が尋ねた。
「持ってくか?」
「そうだね。きっとまたフィオナさんが良い値段で買い取ってくれるよ」
三日月財団は異界の解明に力を入れている。遺物はその重要な研究材料だ。尤も、取り扱いには厳重な手順を要するものが殆どであるが。現日本支部長であるフィオナは異界の遺物の調査にも熱心で、持ち帰った物を渡せば口止め料という名の報酬としてそれなりの金額を渡してくれる。
「そりゃあいいな。金が入ったら何か旨い物でも食いに行くか」
「賛成。大分良い物食べられるね。何が良いかなぁ」
幸いにも、ここから脱出しようという意識はまだ互いに保てている。前向きな言葉を口にしつつ、件のノートは高標のトレンチコートのポケットへと仕舞い込まれた。
「便利だね、それ。でも室内でコートっていうのも、よくよく考えてみれば変な感じかもね」
「気に入ってるヤツだから悪い気はしねぇけどな」
「良いんじゃない? サマにはなってると思うよ」
「そりゃあどうも」
他意の無い素直で緩い賞賛に高標は薄く笑ってみせた。気負いのない会話を続けながらも手は取り合ったままだ。
他の手掛かりを探して書斎を一通り調べてみたものの、ノート以上の収穫は得られなかった。
「さて、どうする?」
「倉庫は鍵をどうにかしないと入れないし、ダイニングも……今はやめといたほうがいいかも」
倉庫に入る為の、数字と文字が組み合わされた錠を解除する方法を二人は持ち得ていない。またダイニングも、扉の上のプレートに書かれた『永遠を誓った者のみ、この扉をくぐること』という文言の意味が分からない以上、下手に踏み込むのは得策ではないと判断した。
となれば、先に二階の部屋を探索するしかない。そう結論付けて、二人は書斎を後にした。