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Chapter 4『寝室』

回廊を抜けてから紅羽の口数がめっきり減った。受け答えこそしてみせるも反応自体が鈍い。不機嫌という訳ではない、強いて言うのであれば微睡んでいる時のそれに近い反応だった。変異の影響を直に受けた為だろうか。何れにしてもあまり良い状況とは言えなかった。
手を引きながら二階の一番奥に位置する部屋へと足を踏み入れる。真っ先に目に飛び込んできたのは四、五人でも眠れそうな程の大きさのベッドだった。周囲にはクッションや小物が置かれている。違和感なく私物だと受け入れてしまうも、それらは到底自分達が使うような類のものではない。自分達は着実に異界の深い所へと踏み込んでいる。紅羽程ではないにせよ、高標もまた異界からの干渉を受けているのは事実だ。
紅羽をベッドに座らせてから、彼は迷い無くサイドテーブルの引き出しを開ける。そこに何があるのかを分かっているかのように。実際、目当ての物がそこにあるという妙な確信があった。
取り出したのは掌に乗る大きさの布張の箱だ。開けば、銀色の指輪が二つ並んでいる。裏には二人のイニシャルと『永遠を誓う』という言葉が刻まれているものだと、確認をしなくとも分かり切っていた。
座る紅羽の前に高標は膝を折る。先ずは自分に、次いで紅羽の左手を取って薬指に指輪を嵌めた。ひんやりとした金属の冷たさに、それまでぼんやりとその光景を見ていた紅羽はハッと我に返る。
「えっ、と……何しようとしてたの?」
呼び掛ける声に高標が顔を上げる。行為の意図は彼自身の意思に寄るものか、もしくは館の思惑によって為されたものか。隻眼の表情では感情を読み取り辛い。
手を取り見上げたまま高標は口を開いた。
「アンタの見てる夢の設定に従ってみるのも有りじゃねぇと思ってな」
「……その設定のまま進んでいったら、その先に待ってるのは君の身の破滅だよ」
「らしいな。にしても、こうもピッタリ指に嵌るってのも出来過ぎじゃねえのか、コレ」
「自分たちの物として誂えた、っていう体で作られてるものらしいからね」
将来を誓い合った仲というのが根底にあるのだから、永遠を謳う指輪があるのも不自然ではないのだろう。改めて左の薬指に嵌った指輪を見れば、これもまた異界の影響を色濃く受けている物だと分かる。
紅羽が感じたそれに、少し遅れて高標も気付いた。というのも、立ち上がる際に一旦紅羽の手を離すも、彼の瞳はそれまでと変わらずに館の詳細を映していたのだ。
「お、ん? ……あぁ、成程」
「これも異界の遺産の一つだろうね」
触れていなくてもシフターと同じ視界を得られるとなると中々に稀有な代物だ。持ち帰れば高額で引き取って貰える事は確実だろう。
指輪を外す気配を見せない高標に、一応という体で紅羽は尋ねた。
「着けたままでいいの?」
「違和感があった方が、見失わなくていいだろ」
「……それもそうか。まかり間違っても、現実ではこんなもの嵌めないだろうからね」
片手が空いて行動の自由が利くようになるのは単純に有難い。異界の遺物を身に着ける事への抵抗など今更だ。たとえ夢の中の関係に添うものであったとしても、現実に有り得ない事象へのギャップだと思えば、それはそれだ。
「ああ。後はまぁ、普通に似合ってるぜ。嬉しくねぇかもしれないが」
「ん、そう?」
似合うと言われ、満更でもなさそうに紅羽は笑った。指輪自体は美しい細工のそれであり、似合うという言葉も決して誇張ではない。そもそも高標が思ってもいない誉め言葉を口にする男でない事を紅羽はよく知っていた。
花弁を思わせる唇は甘く綻び、ふわりと細めた深紅の玉石は一種の色香すら孕んでいる。黙っていれば作り物めいた美貌に浮いた笑みは、心を揺さ振るのに十分な力を持っていた。
紅羽としては無自覚な表情だ。しかし、それで今まで何人の心を奪い殺してきた事か。図らずとも、その蕩けるような美貌を今は高標一人だけが独占している。過去に何度もそんな表情を目の当たりに出来た事を、素直に役得と言うべきなのだろうか。思わず苦笑が浮かんだ。
「その顔……俺は何人かに刺されそうだな」
「刺されたとしても、君ピンピンしてそうだよね」
「おいおい、夢の中で俺の事刺してるって言ったのは一体誰だよ」
「君なら刺されてもそのまま起き上がりそうな気がしてきたよ」
「そもそも俺がアンタなんかに刺される程ヤワじゃねぇだろ。大体何かあったら俺は自分の命を優先するぜ?」
「違いない。そういう所、嫌いじゃないよ」
そう言って紅羽は指輪ごと己の手を包み込むようにして一度ぎゅっと握る。そうして深紅の双眸を真っ直ぐに高標へと向けた。
「お陰で大分休めたよ。ありがとう」
どうも、と高標は肩を軽く竦めた。差し出された手を取って、紅羽もまたベッドから立ち上がる。
「君は……おれより大丈夫そうだね」
「強いて言えば煙草が恋しいくらいだな。ヤニが切れた」
「あぁ、持ってないんだ」
厳つい顔を顰めて高標は頷いた。常の彼であれば必需品レベルの嗜好品なのだが、生憎と愛用のトレンチコートのポケットにも入っていないのだという。
「煙草も、ライターも無ぇな。ここは火の気が気に食わなかったのか?」
「そう言われてみれば、館が燃える結末は見たことないや」
過去に見ていた夢を辿る。この館で共に暮らす光景を見続けていたけれど、言われてみれば煙草を持つ高標の姿を目にした記憶は無い。
それは、あれらはあくまで館という異界が見せた夢であり、その中に居た彼は偽物だったからなのだろう、と紅羽は一人胸の中で結論付ける。ほんのりと口の端を上げた。
高標が怪訝な顔をするも彼は微笑むだけで何も答えなかった。

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