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Chapter 6『倉庫』

「数字の羅列、ここで暮らし始めた日の事みたいだね」
「そういう事になってるらしいな」
気付けば相当に異界の深い所までやって来ていた。現実と歪みの混濁は拭い切る事も難しい程に二人を浸蝕している。尤も、自分達よりも前にこの異界に捕らわれた者達と比べれば遥かにマシなのだろうが。
矢張り、と言うべきか。八桁の数字と四文字のアルファベットで倉庫を閉ざしていた南京錠は解除された。倉庫としか形容のしようがない、調度品が詰め置かれた部屋の中で二人は懸命に外に出る為の手掛かりを探す。何かがある筈だという確信は供に持っていた。
「……なぁ、紅羽。あの日記を残したヤツらと俺達。違いは何だと思う?」
突飛に向けられた問い掛けに首を傾げる。相違点を挙げられるほど、前に館に捕らわれた者達の事を知っている訳ではない。しかし。そう尋ねるという事は、高標には何か分かっているのだろうか。
「アイツらはこの部屋には入れなかったんだろうな」
「そうだと思ってた、けど」
「この部屋に入るのに必要なモン、何だった?」
「それは……このナイフと」
「こいつだな」
左の薬指に嵌った指輪を示す。そうして、日記の記述を思い出す。
『幸せだったのに、あの人は私を置いていなくなると言いました。指輪が無いからって、絶対に許せない……! ――だから、私は、唯一見つけたこのナイフで…………』
扉を開くキーワードはナイフと指輪に刻まれていた。日記を残した二人はナイフを手に入れる事は出来たものの、そこで仲違いを起こしてしまったらしい。『指輪が無いから』と。それを口にした紅羽に高標は「それと、もう一つ」と、探索する手は止めないままに付け加える。
「玄関の外に出口があるのは突き詰めたって、あの日記にはあったな」
「そうだったね。外に出る為には玄関の鍵が必要だって。どう頑張ってもあそこは、人の力では開かなかったから」
夢の中で何度か試した事だった。異界が迷い込んだ人間を逃がす道理などある筈がない。けれど、異界である以上、必ずその『ひびわれ』は存在するのだ。そして、その為の手掛かりがこの部屋にあると自分達は信じてやって来たのだ。
ことり、と何かが落ちる音がする。高標の足元に落ちた何かを彼は拾い上げた。
手にした箱から出てきたのは薄汚れた鍵だった。何処の物なのかを示すタグすら付いていなかったけれど、使う場所はもう分かり切っている。求め続けていた玄関の鍵だ。
「よかった……やっと出られる」
安堵の色が声に滲む。高標の掌中にあるそれは赤黒い錆がこびり付いて汚れているが、確かに希望そのものだった。知らず強張っていた華奢な肩から力が抜ける。目当ての物を見つけ出した男もまた機嫌が良かった。
「全くだ。……なぁ、指輪はちゃんと持ってるか?」
「ここに」
腰に下げられたナイフに一瞬意識が向く。けれど、それを振り払うように頷いて、紅羽は左手を向けた。
その意図を察して、高標は背後から指輪の嵌められた左手同士を重ね、指を絡める。抱き締めるような体勢で紅羽の背を包み込んだ。体温と共に肩の力が抜けたのが重ねた肌から伝わる。身を預ける無防備な信頼と情を向けられ、高標は笑った。
「不安か?」
「大丈夫だよ」
釣られるように紅羽も笑う。己を抱き込む隻眼の男相手に、不安も疑いも何一つとして持ってはいない。
「だって、こんなに頼もしいナイト様がいてくれるんだから」
「どうも、マイレディ」
異界に記憶は侵食されても尚、揺ぎ無く二人を繋ぐものは確かに存在する。過剰な異存も嫌悪も、疑心暗鬼さえも今の二人には在り得ない。必ず、共に。同じ想いを確かめ合うように、互いに重ねた手に力を込めた。

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