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Chapter 5『ダイニング』

『永遠を誓った者のみ、この扉をくぐること』――ダイニングの扉の上に掲げられたプレートの意味は、寝室で見つけた指輪の裏に刻まれた言葉を指すのだろうか。ある種の覚悟を持って件の部屋に足を踏み入れる。途端に二人は目を見張った。
オーク材のテーブルには真っ白なクロスが敷かれているばかりではない。一体誰が用意したのか、たった今出来上がったと思しき料理が並べられていた。どういった意趣があっての事なのか、それらは二人が行き付けにしているビストロのメニューと同じものだった――少なくとも二人が記憶している限りは間違いないものだった。
「……喰わないと話が進まねぇんだろうな」
「多分ね」
「ま、タダであの店の料理が喰えるって考えれば儲けモンか」
言いながらも、身体は自然と向かい合うように席について卓上のカラトリーを取る。脳裏に『黄泉戸喫』なる単語が過らないでもないが、今更異界の影響など気にしていては何も出来ないと腹を括る。
まずは「いただきます」と手を合わせる。そうして流れるような手付きで各々の料理を切り分け、口に運んだ。指輪の手を繋いでなくても視界を共有出来るという恩恵が、まさかこんな形で受けられるとは。
「本当にあのお店の味だね」
一口、味を確認して、そんな場合でもないのに僅かに頬が緩む。それなりの土地に店を構える気負いのないカジュアルな雰囲気と、それを良い意味で裏切る料理のクオリティが売りであった店の味がそのままに舌に蘇る。カレントシティ全体であまり外食が気軽に出来ない情勢や雰囲気になってしまった時期もあるが、その時は店の工夫もあって持ち帰りを利用して家で食べた事もあった。
「テイクアウトも何回か頼んだけど。やっぱりお店の出来立ては美味しいや」
「そうだな。家で食べたのもそれなりに旨かったけどな。肉とか冷めても柔らかかったし」
「お店の人の努力の賜物だよね」
この館に来て以来空腹らしいものを感じた事は無かったが、腹ごしらえが出来るに越した事はない。どういった背景があれども美味に舌が喜ぶのは生きている人間として至極全うで健全な事だった。また二人で食卓を囲むという事実もまた、この場での料理の味わいを一層深いものにしていた。
メインの料理を前にして、紅羽が何かを思い出したかのように微笑む。
「このメニュー、初めて君と食べに行った時のと同じなんだよね」
初めてその店を訪れたのは高標がレッドブランチの卒業式を迎えた日だった。その祝いとして、一応年上の紅羽が連れて行くという体裁で店を訪れた。高標の方のメインをボリュームのある肉料理に頼んだ、そんな所まで今食べている料理は当時の物を再現している。それが不思議とくすぐったいと思ってしまう。
「多分君はそういうのの方が好きだろうから、店の人に注文をお願いしたのを覚えてる。もしかして、あの時気付いてなかった?」
「……どうだったかな」
本来メインのメニューが違えば印象には残るものだ。しかし不思議な事に、そこに違和感を覚えたという記憶を高標は持っていなかった――或いは失った、か。曖昧な返答ではあったけれど、それを紅羽が特別気にした様子はなかった。
「なかなかこういう店でご飯食べることもなかっただろうからね。もしかして、あの時緊張でもしてたかな」
そんな柄じゃあないか、と軽く笑う。今より若かった二人にはカジュアルな装いと言えども少し敷居が高い店であったのは確かだが。記憶の混濁を自覚しつつも食事の手は止まらない。それはそれ、これはこれ、だ。
そうして一通りを食べ終わると同時に皿はまるで手品のように綺麗に片付けられる。代わりにテーブルの上には一振りのナイフが置かれた。紅羽がそれを見てあからさまに顔色を悪くする。しかし彼の手はナイフの柄を取っり――刹那、顔から表情が消える。
一連の紅羽の様子と彼から聞いた夢の内容、この館に捕らわれた者が残した記録。高標には直感的に凡その察しが付いた。紅羽は何度、このナイフで高標を刺したのだろう。殺害手段がそれだけとも限らないが、今それを問うても無意味だ。
「紅羽、戻ってこい」
手を重ねて軽く握る。呼び掛けられた名前に彼はハッと我に返った。深紅の瞳が隻眼の男に焦点を合わせる。多少影響は受けているにしても、触れる手の感触は高標自身と同様に揺るぎないものだった。紅羽の視線を高標は真っ直ぐに受け止める。
「……やっぱり、コレが現れたね」
「そいつが凶器か」
高標のストレートな指摘に紅羽は頷いた。
「そう。いつも、これで君の背中を……」
顔を顰めながら、ふと目に付いた文字に先程までとは別の意味合いで形の良い眉を寄せる。
「こんなの、あったかなぁ?」
これを見て、とナイフの柄を翳す。そこには装飾の施された四文字のアルファベットが刻まれていた。夢の中で幾度となく揮ってきたものではあるが、紅羽がそれに気付いたのは今回が初めてだった。意味するものの分からない文字に高標もまた首を捻る。
「『T.S』と『K.U』? 何の暗号だ」
「……イニシャル、とか?」
「一応聞いてやるが、一体誰のだ」
「君と、おれの」
「……あぁ、そうかい」
閃いた切っ掛けは視界に入った指輪だった。将来を誓うペアリングには刻まれている事が一般的なその文言が存在していなかったのを思い出したのだ。その代わりとでも言うのだろうか。
呆れすら滲ませた仕草で高標は肩を竦める。心境としては紅羽も似たようなものだ。今更だが余りにも趣味が悪すぎる。持ち続けている気にもなれず、双方のイニシャルを一瞥してナイフをテーブルの上に置いた。
「そいつに刻んであるのが連名ってのが余計にタチ悪ぃな」
「異界からの引き出物? 縁起悪いなぁ。……でも、ここで得られた物だから、何かしらの役に立つものの筈だと思うんだけど」
考え込むより先に思い浮かぶものがあった。まだ一度も――紅羽一人夢に捕らわれた時からまだ一度も足を踏み入れていない場所を。
「……倉庫。あそこの鍵、もしかして」
「倉庫?」
「南京錠の掛かった部屋が一階にあったでしょう? あの部屋は夢の中でもずっと開かなかった。今なら、もしかしたら行けるかもしれない」
「成程。往くか」
紅羽にも確証がある訳ではない。強いて言えばシフターとしての直感だ。曖昧極まりないそれに、しかし高標は迷い無く頷いた。異界もかなり深い所まで潜り込んでいる。あまり時間を掛けてはいられない。
そうして部屋を出ようとした所で、先程確かに机の上に置いたはずのナイフが紅羽の腰のベルトに下げられている事に二人は揃って気が付いた。再度持った記憶は無い。また持っていたいとは欠片たりとも思っていない。寧ろ過去に見た夢の顛末を思えば捨ててしまいたいくらいなのだが、生憎とそうはいかないらしい。
「異界の遺産……」
「持って帰れば金になる。そう思っとけ」
合理主義の極みのような発言に紅羽が力なく笑う。確かに割り切った方が、もとい、諦めた方が気は楽だ。
それでも、どうか使わないでいられるようにと祈らずにはいられない。不安を振り払うようにナイフから意識を逸らし、紅羽は高標の手を取りダイニングから倉庫へと急いだ。

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