Chapter 0『それぞれの場所で』
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Message
深夜、端末が着信を告げる。菅原 高標(スガワラ タカスエ)は自身の端末に片目を遣った。その顔の造詣は精悍で整ってすらいるが、決して穏やかとは言い難い。鍛えられた体格と隻眼もあって、黙っていれば不機嫌そうにも見える。
咥えていた煙草を灰皿に押し付け、火を消した。こんな時間に掛けてくる相手といえばごく少数に限られている。書類を手にしたまま、高標はディスプレイを見ずに手を取った。
「もしもし。菅原だ」
「知ってるよ。その番号に掛けたんだから」
柔らかく、通りの良い声。名乗りこそしなかったが、相手が誰であるかなど間違いようの程に馴染んだ声だ。
梅宮 紅羽(ウメミヤ クレハ)。五年前、レッドブランチ・スクールで出逢い、レディとナイトの契約を交わした相手だった。在学中には『麗しのレディ』の称号を欲しい儘にしていた程の美貌の持ち主だ。
尤も、紅羽は只の『レディ』ではない。異界を見る事の出来る異質な目の持ち主――シフターと呼ばれる存在だ。それ故に、彼は異界というモノに魅入られ易い。紅羽の抱える背景を高標は最初から知っていた。しかし、付き合いの理由はそれだけではかった。純粋に相手に対する興味が強く、それは紅羽にとっても同じ事だった。
レッドブランチ・スクール卒業後もその縁――レディとナイト、或いはシフターとバインダーという関係は続き、今では共に三日月財団に籍を置くに至っている。
「紅羽か。こんな時間に一体何だ」
「ちょっと夢見が悪くてね。流行りのオンライン呑み? みたな事でもしようかなって」
曲がりなりにも高標の方が一つ年下なのだが、太々しい物言いに紅羽が気分を害した様子は無い。カラン、と澄んだ音が声に重なる。手にしたグラスに氷が当たったのだろうと容易に想像がついた。返す声に若干の呆れが滲む。
「こっちは仕事中だ」
「仕事って、財団絡みの?」
「まぁな」
「君一人で何とかなるコトなの? 見えないのに」
異界を見る目を持っているのは紅羽だ。かつては高標もその力と無縁ではなかったけれど、自身の右目を抉ったと同時に縁は切れた。その直後に紅羽と出逢い決して無縁とは到底言えなくなったが。しかし事実として、今では紅羽に触れていなければ高標が正しく異界を見る事は叶わない。しかし三日月財団が絡む仕事となれば異界と関わるものと相場が決まっている。高標一人では出来る事は少ない筈だ。
アルコールが入っていても思考は常通りを保っている紅羽の問いは尤もなものだ。しかし今回に限って言えば、高標に与えられた仕事はごく普通のものだった。
「事務方の仕事だ」
「君が事務仕事ねぇ。似合わないなぁ」
「ンだよ。俺は昔っから真面目だろう?」
「自分で言ってて虚しくならない? 制服もちゃんと着てなかったクセに。授業を真面目に受けてる君って想像できないよ」
くすくすと喉で笑う。電話越しにも耳を甘く擽るような響きだ。ある程度分かっていた反応なだけに高標に不快感は無い。逆に笑い返してすらみせた。
二人の脳裏に紅羽の卒業式の日の一幕が思い起こされる。卒業する紅羽だけでなく、当時在校生だった高標も、制服の第二ボタンを互いに渡した。自身の制服からボタンを引き千切ったのは高標の意思だ。流石に驚きながらもボタンを受け取った紅羽も紅羽だが、ボタンは今も、双方持ち続けている。
結果高標は一年ほど第二ボタンの無い制服を着て残りの学園生活を過ごしていた。そこまで含めて、この一連の顛末は今ではレッドブランチ・スクールで半ば伝説のように語り継がれているらしい。
そんな他愛の無い話をしつつ、しかし高標は確かに感じた違和感を逃す事はしなかった。ストレートに尋ねる。
「で、一体如何したんだ」
「……騎士様は鋭いなぁ」
電話越しに肩を竦める。躱した所で引き下がるような相手ではない事を知っているから、紅羽も敢えてそれ以上隠すような真似はしなかった。
「さっきも言った通りだよ。ちょっと最近夢見が悪くて。何かの予兆でなければいいんだけど……まぁ、何かあったら君には言うよ」
「異界絡みか。そういう事は早く言えよ」
「こういうのは昔からだからねぇ。もう慣れちゃって」
線引きが難しいんだよね、とからりと笑う。それが強がりでなく本心から異界に近い事を受け入れているが故の言葉だと高標は知っていた。だからこそ、放っておけないとも思う。溜息と共に、言葉は自然と口から出た。
「明日、そっちに行く。空けとけよ」
「……無理って言っても来るんでしょう?」
「部屋のドア壊されても良いって言うならそれはそれだが」
「それは困るなぁ」
本当にやりかねないだけに始末が悪い。苦笑交じりに紅羽は条件を提示してみせた。
「せめて時間はこっちに合わせて欲しいかな。お昼辺りでどう?」
高標としては、本当は朝一で押しかけても良い所だ。面倒事の種は早めに潰しておきたい。不服の気配を察しても、しかし紅羽の声色は変わらなかった。
「おれだって寝たいし。大体スガ君だって、この時間に仕事してるって事は一体何時に寝るのさ」
「適当にケリはつけるさ。このままソファーの上で寝る」
「……まぁ、程々にね」
「おう。じゃあな、おやすみ」
「ん、おやすみ」
普段と何一つ変わらない気安さで、互いに今宵の別れを告げる。明日になれば顔を合せる事になると、この時は互いに思っていた。
しかし。再会は二人が交わした約束よりも早く実現される事になるのであった。